先週の話です。「よし、ブログやってみよう」と思い立って、夜中にいろいろ調べて、翌日にはレンタルサーバー契約して、ドメインも取って、準備万端で「これから文章で発信していくぞ!」意気込んでいました、
そんな中、たまたまいつも聴いてるVoicyのパーソナリティーが、こんなことを言ってた。
「ブログって、もうオワコンだよね」って。
一瞬、耳を疑った。え、今なんて言った?
まさかこのタイミングでその話? っていう。
昨日、サーバー契約したばっかなんですけど?って、思わず天を仰いだよね。
でも、その話にはちゃんと理由があって、どうやら「AIが書ける時代になったから、わざわざ人間が文章を書く意味が薄れてきた」ってことらしい。
確かに、最近のAIの文章ってうまい。
テーマを入れればそれっぽい文章ができちゃうし、SEOにも強い構成で出してくる。
クオリティも悪くない。いや、むしろ普通に上手い。
そのうえ、記事量産もできる。
これ、人がひとつずつ考えて書いてたら太刀打ちできないな…って、正直思った。
で、冷静に考えちゃうわけです。
じゃあ、なんで今さら自分はブログを始めようとしてるんだろう?
何の意味があるんだろう?
もうAIで十分なんじゃないの?って。
だけど、ここで思ったのが、「ブログ=情報発信」っていうだけじゃないよな、ってこと。
もちろん、収益化とかアクセスとか、そういう指標は大事。
でも、自分が何かを感じて、それを言葉にして、誰かと共有する。
たとえその“誰か”が少数でも、価値ってそこにもあるんじゃないかなって。
あと、AIが書けるからって言っても、「誰が書いたか」っていう人間味が大事な時代になってる気がしてて。
最近って、情報が多すぎて何を信じていいかわからないことが多いでしょう?
でも、「この人の言葉だから信じられる」っていうのは、やっぱり人間にしか出せない部分じゃないかなって思うんです。
それに、AIが文章を代わりに書いてくれる時代だからこそ、逆に「自分の言葉で伝える力」って希少になってくるんじゃないかとも思う。
たとえば、好きなカフェの話とか、仕事で感じた小さな気づきとか。
そういうことを自分の言葉で書いて、誰かが「それ、わかる〜!」って共感してくれたら、それってすごく温かいし、ちゃんと意味があるよなって。
正直、「ブログはオワコン」って言葉は、耳に入るとグサッとくる。少ししんどいかも…。
でも、オワコンって「一部の人には価値がなくなった」ってだけで、「すべての人にとって終わった」わけじゃないんじゃないかな。
むしろ、周りがやらなくなったからこそ、今あえてやる意味があるかもしれないし。
自分のペースで、伝えたいことを、自分の言葉で。
そんな気持ちで、ちょっとずつブログを始めてみようかなと思った朝でした。
まだまだ、ブログはオワコンじゃない!
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